昭和四十年十二月十九日 朝
昨夜のお月次祭の後でございました。ご造営委員長の秋永先生から、親先生今年の支払いがこれこれだけおがげを頂かなければなりません。というお届けがございました。現在、その その全額の丁度半分だけ現在椛目に預金があるんです。どうぞよろしゅうおかげを頂きます様にということでございました。
お繰り合わせを頂きましてから、経理の方の方達も、勿論委員長も、この年末に早くその請求があっとります。倍額位は用意させて頂いてからしとかにゃなるまいということであった。お繰り合わせを頂いてから、その思いの半分でよかったわけですけども、その、半分でも椛目の全部を現在手持ちのお金を出しましても、まだその半分にしか達していないわけですね。
お繰り合わせ頂く様にと、そのことを神様にお届けさして頂きましたらね。洗うという字を頂く、せんしんのせんですね。さんずい辺に先と書く、皆さん、どういう様なことだと思うですか、大変なことですね。大変なことなんです、椛目のこのご造営というのは大変なことですけれども、その、大変なことが、その都度その都度おかげを蒙っております。
昨日は、おかげで本殿の方の棟が上がったということでございますが、いよいよその偉業を現わしてきたというて皆さん言っておられます。そして、着々として神様のお働きというか、そのことは進められておるのでございますから、それに、伴っていかんならんのは私共の信心なのですね。同時に御用なのです。ね
私、そのことを又神様に、その洗うという字を頂いてからです。サンズイに先とこう書いてある。又、そのことお願いさして頂よりましたら、丁度、こう男の人がですね腹這いになっとるとこを頂く、顎のところにこう手をすけて、そして腹這いになって足を上の方えピョンと上げてですね。あーゆう寝方をよくしますですね。
楽寝というわけではない、ね 寝転んでおるというわけでもない、腹這いになっておる。そして、いうならば新聞でも見ておるといった様な感じなんですね。こうやって顎に手をすけて、そして足をこう上の方へ上げてから、寝ておるところを頂いた。アラー、これは、私を中心にする椛目全体の姿ではなかろうかと私は思うた。何時も私が申します様に、こういう様な大きなことが思い立たれたと、勿論、それは神様が思い立って下さった分けなんです。
私共、それについていっておるだけなのですけども、どうも、私共が遅れておるといった様な感じ、本当いうたら神様の御事としてです。だったら、もちっと本気にならにゃいかんのだけれど、まあ神様のことというよりも、もう少し実感的に分かるためにです。自らのこととして、自分自身のこととして、お互いがそれに取組むまなければならないということでございます。 いわば、腹這いをしてから、こう顎に手をすけて眺めておる様な感じ、ねというて、眠っておるわけでもなからなければ、楽寝をしとるというわけでもないのだけれども、いわば、立ち上がろうといえば、すぐ立ち上がられる態勢にあることはある。サアー皆さん、本気でいっちょ、本気で自分が家ば建つると思うてから、いや、自分が家を建つるのじゃない、まあ、お座敷のいっちょん作ると思うてから、改造ひとつぐらいするつもりで、ねぇ と
例えば、いう様な自分がそうさして頂いておるという様な気持ち、本当いうたら、神様の御事として、自分のことなんか問題じゃない。私共が日頃の信心に、ここにものを言わせる時だと、ね 皆さんがご造営のことについては色々と思いをめぐらせておられる。これこれをおかげを受けたいとこう思うておられる。その方達が本当にスムーズにおかげを頂いたら、実をいうたら問題はないくらいです。そのことがまだ成就になっていない。
だから、早うあいた達は慌てて出さにゃんといった様なものではない。神様が求められるものは、どこまでも洗うという字なんだ、本気で改まらなければ、本気で一生懸命ならなければ、本気で心を洗うところの気持ちにならなければ、こういうことをお願いしておるんだもの、こういう大変な事をお願いしてるんだもの、この信心でよかろうはずがないじゃないか。こういう大きなことをお願いしとるのであるから、このくらいなことでよかろうはずがなか。
夕べ、私ある人から聞かせて頂いた。勿論大きな商売をしとる人で ございますけれども、忘年宴会にはこれこれのお金がいる。二次会も含めるとこれくらいのお金がいると、私はびっくりいたしました。いくら物が高なっとるというてもです。ほう、あんた達の忘年会ちゃそげんかかるもんの、と いうたこっちゃった。そして、必ず二次会というのがあるから、二次会もせんならんとこういう。
先日、家内が話しとりました。もう、御造営が始まってこの方テレビのテの字もいいません。勿論、子供心にも修行、誰ーれんいうとるわけじゃありません。御造営が始まるとじゃけんあんた達も修行せにゃて、誰ーれもいったわけじゃないけれども、まあ、自発的にこうおかげを頂いとるわけなんです。
もう、それこそ本当に五円のお金でもせびりません。その方以来というものは、家の前で今子供たちが遊んどります。今は、この近所の子供たちは駒を回すのが大変流行しておる。私のほうの栄四郎も、幹三郎も駒を持たない。栄四郎はなかなか要領がいい、ですから、だ俺借してんかち、したらちゃんと人の駒で遊びよるらしい。
家内が見ながらほんにここに駒ひとつ買うてやると、この人達も一緒に遊べるのにとこう思うけれど、サアーここが辛抱のしどころ、子供達でもそれこそ買うちいうてから、五円の金でもというておるのであるから、ねぇ おかげも頂かれんちくせしてから、スパスパよか煙草どん吸うちから、お酒は飲んでから、見るとこに行く、行くとこには行く遊びに行っといてから、御造営費のことにはも本当にこれから先も考えとらん人がある。
まとまらにゃならんちいうことじゃない、ねぇ いわゆる信者に一統ということがある。煙草一箱分でもと、そういう一念がですより集まって、神様を動かせる働きにもなってくるのじゃ椛目のこの御造営の時にです。自分達の信心の造営もでけたと、というくらいな気持ちはです椛目にご縁を頂いとる全部の者が、心をそこに置いてからでなからにゃおかげ頂かれん。あまった汁んごたるもんでどん、おかげ頂こうと思ったっちゃでけあがりゃしません。
日頃の信心にものをいわせると、お互いがおかげ頂かにゃいけません。一週間ばかりもうなりましょうか、土井の久富さん、久富繁雄さんの長男の国雄さんが、御本部から帰らして頂きました。その夜の、でした丁度私が、御本部で頂いてきたことを国雄さんがお夢の中で頂いとるですね。
それは、竹やぶ、竹やぶを半分ぐらい開いとるそこを畑にしておる。そして、その畑にです山芋を植えておる。先生、その山芋というのが、その根を植えとるわけでしょうけれども、山芋が丁度その人型をしておる。ね 人型人間の形をしておる。面白い山芋があると見てからそれを植えたら、それから、それが成長したんでしょうね。
今度それを堀おこさならんところが、その見事な人形の山芋が出けとったところが、先生気色の悪かごたることでしたけれどもね。その山芋がですねもの言い出したちいうお夢だった。私、それを聞かせて頂いて、神様私ごたる分らんもんでも、めめてくわす様に分かり様、分かり様くださるなあと、私は思いました。
これは、私の頂いとることとつながっとることはさておきますけれども、そのことにつきましてもです。皆さんもご承知の様に、久富繁雄さんの信心は、皆さんもご承知の通り本当に素直な、本当に土の様な黙って黙々としておかげ頂いていこうという生き方の信心なんです。
何時も、これは私の前に、何時も自分というものをむなしゅうしきってござるという風にかんじられる。いわゆる、その山芋の人柄というのは繁雄さんの信心じゃなかろうか、こういう素晴らしい信心がです、こういう素晴らしいいうなら信心がです。ものいわんはずが絶対にないということです。それがものいうてきた。
よくいうでしょうが、日頃の信心にいよいよものいわせる時だと、ところがなんです、ところが、私共の信心がです。これこれだけの信心がでけとるのに、ね いわゆるおかげの方が現れていない、ものいうていないということである時に分からなければいけないこと、だから、私、国雄さんに申しました。お父さんは、皆んなが、いうならある意味合いにおいて、手本になる様な信心をしよんなさる。
あれでおかげ受けれんはずはないのに、国雄さんものいわんとするなら、これはチットおかしいぞ、いわゆるお父さんの信心を吸収すると、お父さんの信心をくずす様なことがありょりゃせんか。家族中の者がここんところにゆかにゃいかん。屋根を開いた、畑を作った、ところがその屋根の□の根から、又、こっちさん出てきよる屋根の根がね、竹の根が又こちらへ折角開いておるところにこう出てきよる。
ですから、折角屋根を開いて、やぶをを開いて畑が出けたのであるから、ここに、ひとつ堀割を作らにゃいかんね。屋根の周囲にはこうやって溝が掘ってあるでしょう。根がこっちに這ってこない様に、このくらいな御用は家族の者がせにゃ、折角、このお父さんの信心がもの言おうという時に、もの言えんじゃないか。皆さんの信心がです。これだけのいわば、皆さんが一人一人願うておられんことはなか。自分でもおかげ頂きたいと思いござるところが、そのものいわんならです。何かがそれ邪魔しとるということを、その障害をです本気に取ってのぞかなければだめ。
私共が、本気で立ち上がろうと腹這いになってから、顎の下に手をすけてこうやってるぐらいじゃ、ことじゃおかげにならんがですけれども、見とるわけではない、眠りこんどるわけじゃない、楽寝をしとるわけじゃない、起きろうと思やサアッと起きられるのだ。立ち上がられる態勢にあるのだ、本気で神様の御事として、それで実感がわかんなら、本気で自分のこととして立ち上がらなければいけんのだ。
銘々が少しばかり造作なら造作をした、大工さんが年末にいくらいくらいりますと、言われた気持ちでおればいいのじゃ「 」払わじゃこてという様なことになるのじゃないでしょうかね。皆さん、今本気で修行するならしなきゃ何時するのか、食べたい放題、寝たい放題、したい放題なことしてから、そしてからその汁のごたるものでおかげ頂こうたってでけるはずがないじゃないか。
私共は、そういう様なことじゃ、なるほどおかげは頂けん、本当に立ち上がらして頂こうという気になったらです。私は、この洗うという字はですねシは何時も恵みと仰る。恵みと恵みの方が先行する、恵みのほうが早か、おかげのほうが早い、こちらが、まだ本当なことが出けとらんでも、本気でそういう気に本気でならせて頂こう、おかげの方が早いということ、いや本気になっとりますというてもです。
その信心がものいっとらんならば、まだ本気がなっとらんのであり、又、腹這いで顎に手をすけとる程度のものであるということをです。銘々が、ひとつ分からして頂いて、おかげ頂かなければいけんのじゃないでしょうか。そういう信心を、本気で踏ん切りをつけなければいけんのじゃないでしょうか。
支払いは二十三日とか、二十四日とかいっとりましたですね。いわゆる、それまで自分の心に日を切ってでも修行さして頂いてでもお繰り合わせを、皆さんが頂きなさりゃ、なら、他所の教会の人が持って来てくれるはずはありませんです。椛目のご縁を頂いとるもんだけでおかげ頂かんならんのですから、ねぇ。本当にですね、真心を現わすということ、これがでけなかったら、信心頂いとる値打ちはないです。
好きなもん一つ絶ち切らんといてからおかげの頂けるはずがなかです。限りなく美しゅうなりましょうや と、本気で美しく限りなくなりましょうやと、本気で美しく限りなくなりましょうやと、その、美しゅうなりましょうやというところを、只、挨拶だけじゃいかん、美しゅうならせて頂いておる印を現わしていかにゃいかん。
昨日、二度目のお参りを、堤さんとこの長男の清さんが参ってきてからのお届けである。今朝の御理解に本当に難しいところがあった。分らんところがあったから、もう一辺テープを頂きたいというてから参りましたとこういう、そして、あるお知らせに頂いたことをここでお届けされた。ハアーそれたいね、それが日頃私達が限りなく美しくならせて頂こうと、そのことなんだ。
一昨日があんなにご承知の様に雪で大変難儀を致しました。それで、お参りしたいと思ったけれども、お参りがでけなかった人達が何人もあった。丁度、堤さんの前に何人もそういう様な、いわばひとつのいいわけですね。昨日は、あ々したお参りしよりましたけれども、途中であーだった、こーだったという、あのいわばお話なんです。
本当、昨日は珍しい雪が降ったからお参りしにくかったろう。それで、お参りがでけなかったというてここまでは変らん。けれどもおかげを受ける人と、受けない人はそれから先が違う。例えば、お日参りなら、お日参りをさせて頂くというとる人にです。お参りが出けなかった、それだけじゃいかんじゃないか、お参りが出けなかったらなら、ね お参りがでけなかったなら、お参りさせて頂いた気持ちで、お賽銭の御初穂も出けるくらいな、おかげ頂かにゃこて。
お参りがでけじゃった、三日お日参りがでけじゃった。そんなら三の御初穂がでけにゃいかんじゃないの、それが、人間が汚ーたなかもんじゃから、お参りがでけなかった時には、お賽銭もいらんごと思うとる。いや、それがです、お日参りをさせて頂くと心に決めておるなら、それがでけにゃいけんでしょうが。昨日、お参りが出けませんでしたけれども、と その御初穂を添える人と添えない人がある。
私がね、皆さんからね、皆さんからお金を集めたいから言いよるとじゃないです。皆さんが、おかげば頂かんならんからいよるとですばい。おかげを頂く、本当に信心が分かっていく人は、一週間参りが出けなかった人は、一周間分きちっと御初穂を添えて、おかげ頂くくらいな信心は、もう十五年になる椛目の信者としては出けなきゃだめ。
お参りがでけなかった、お参りがでけでけなかったら、御初穂もでけなかった。本当に言い訳しとることに、こういうわけでお参りがでけなかった。でれなかったら、でけなかったなら何故、御初穂がなかったからお参りがでけなかったと云わんか、そんならまだ話が分かる。私共が、本気でおかげを頂きたい、おかげを願うとね。本気でそのためには、本気で信心を分かろう、本気で信心を分かろう。本気で信心を立ち上がって、本気で改まろう、本気で、研こうという気になったらおかげの方が先行する、おかげの方が先行する。
おかげの方が先回りしてからおかげを下さる。その気ができれば、私が昨日、その委員長から聞かせて頂いたそのことを、神様にお届けさせて頂きよったら、ね 洗うと云う字を頂いた。ハアー本当に私を始め皆んな一同が、本気で立ち上がろうという気になったら、神様が立ちあがっとらんでも、立ち上がる気になったらおかげの方が先行する。
おかげの方が先に、お恵みの方が先になる様なおかげが受けられる。立ち上がっとるつもりではいかん、その気持ちになっとるつもりじゃいかん、立ち上がるなっとん立ち上がらりゃ、そこには、立ち上がって動いただけのことのでけれるおかげがです、先回りしておかげ頂ける。これは、皆さんでも体験があるでしょうけれどもね。
これこれのことが、でけなきゃおかげやらんという神様じゃい。これこれのことを、本気でさせて頂こういう気になった時にです。もう、なしたものとして神様が認めて下さるというか、それぞれの信心、それぞれの信心の程度に応じてです。日頃の信心の を ここに現わしていく、その信心にものいわせていけれるという、信心にものいわせていけれるという信心がです、でけなければいけんのじゃないでしょうかね。
皆さん御造営のことはです、沢山の人の目があの造営のことにはそそがれております。昨日、一昨日でしたか、委員長始め商売関係の人達が小倉へ参いっとります。教務所に参りましてから、本当にこれはびっくりする様に評判づいとります。もう九州ぐらいなこっちゃありません、全国中 途中切れ